運命は存在するか?
動くひとに訪れる
運命を感じることがありますか?
人との出会い
仕事との出会い
環境(教える立場、導く立場)との出会い
どれも選べるようで選ばれていることもある。
そんな時、ひとは運命を感じる。
しかしそれは
ことの入り口に立っただけの話。
例えば
プロスポーツ選手になると決めて練習をする。
大きな目標を持つことは悪くない。
そこに至る道は存在する。
その道に乗るために練習をする。
ここで分かれ道。
本当にプロになって活躍したいのなら、
目先の勝敗にこだわらない!
これにこだわると
身体のことを考えずに無理をする。
無理は通せば道理は引っ込む
しかし、その道理には怪我がつきまとう。
多くの選手は厳しい練習に耐えられた人がプロになっている。
「〇〇られた」という過去形。
つまり、才能と練習量と怪我をしない
そんな人がプロになる。
その上、怪我が少なく活躍する人なんてもっと希!!
運命は切り開く
運命は自らのちからで切り開く
こんな話があります。
運命とは軍が命がけで走って変わるもの!
運命を変えるためには
それだけのエネルギーが必要になる。
でも、動けばその可能性はあがる。
もちろん変わらないモノもある。
それを宿命という。
これは「命に宿っている」もの。
親子の関係は宿命なのでしょうね。
だから生まれるときに
親を選べない
子を選べない
ということはない。(らしい!)
なぜ苦労しないといけないの?
子どもが大きくなると時として苦労する場面がある。
そんなとき、
「どうしてわたしがこんなに〇〇しないといけないの?」
考えてしまう。
子育てにプラスがあるの?
と考えてしまうのは自然な思い。
しかし、子どもを産んで得るものは先に貰っている。
それは、
子どもが一番カワイイ時期を独占できること。
そんな時期はほんのいっとき。
しかも、あっという間に大きくなって
その時期のことを忘れる。
(ああ、もったいない!)
運命は過ぎた後に気づく
生きていれば苦労もある。
生きていれば感動もある。
生きていれば楽しいこともある。
すべて過ぎ去った後、思い出として思い出す。
子どもがカワイイ時期も
大変な時期も
過去になり、振り返った時に気づくことがある。
「あ~、あれは必要だったんだ!」と。
それを感じるようになるまで、
運命も宿命も存在することを知ったうえで
みんなでジタバタして生きましょう!!