不器用な生き方からの脱却
自分でなんでもしない
親から「なんでも自分でしなさい」なんて言われてませんでしたか?
家の中での生活という意味ではありですが、
仕事や人間関係など複雑な場面では
その限りではない!
しかし長い間なんでも・・・、としていると
自分でやらないことに
罪悪感や物足りなさを感じるかも知れません。
でも、要領がいい人は
頼れる場面では頼る。
しかも自分より優秀なひとに!!
楽をすることは悪ではない
「楽」をすることが「悪い」ことだと思い込んでいる人はいます。
では、「苦労」することが「善」なのか??
若い頃は苦労しろ!
なんて1980年代までは言っていたように思います。
実際、若い頃の苦労(経験)がその後の人生(仕事の進め方など)に役に立ってきたと思われます。(わたしは1970年代生まれなので、まだ学生でした)
しかし、今のように仕事の内容が、
いままでの延長線上にあることが少なくなった環境では、
あまり聞かれなくなりました。
そんななか、部署や職場が変わっても(以前と異業種)活躍するひとはいる。
そういうひとは、
当たり前をそのまま受け入れず、
当たり前を信じていない。
慣例や業界の常識なんていうのは、
過去の誰かが作って、
それをその後にひとが何も疑わずにおこなっている
だけのこともある!
それを壊し、ぶち破るのは、
若者、バカ者、よそ者!!
不器用なのか?生真面目なのか?
合気道を長く楽しみながらおこなっているひとで、
生真面目な人間はいないと感じる。(わたしは会ったことがない)
なぜなら、合気道の技に正解がないから!
身長が150cmの人と2mの人で同じ技を
おこなおうとしても無理な話。
相手の身長、体重、状況を考えたら変化しないと出来ない。
だからある程度、
「適当」を許容できないと動きが制限されてうまくいかない。
運動をする場には不器用なひとはいます。
でもそれは、
身体(體)の使い方を知らないだけ!
知って制御できれば器用になる!
生真面目は損!?
この歳まで生きると、
いろいろな世界を覗く機会があります。
そしてどんな世界でも求められるのは
真面目なひと。
そんな人でないと自分の代わりを「任せる」ことができない!
しかし、生真面目はむずかしい。
なぜなら、その人の道は狭くそれを外れることが自身も傷つけることがあるから。
結果的に自分で自分を苦しめる。
もう一度振り返ってみる
もう一度、自分が
不器用なのか?
生真面目なのか?
を考えてみる。
不器用なら生き方を学ぶ。
生真面目なら自分の道幅を広げて自分を許す。
どちらも他者にはどうすることも出来ない。
お腹がすいたからといって、
自分以外のひとの腹を満たしてやっても
意味はないのと同じ。
まずは、自分から足を進めましょう!!