報道は撒き餌のようなモノ
報道が残念なのは歴史から見て当然!
SNSが浸透するに従って、既存の報道機関やテレビなどが真実を伝える機関ではなく、自分達が伝えたい言葉を伝える機関でしかないことが知れ渡った。そのおかげで一部ではマスゴミなんて呼ばれています。
わたしもあまり汚い言葉を使いたくないのですが、やはりそんな反応をしてしまうことが分ってしまうのが困りものです。ではわたし達はどうすれば良いのか?
その歴史から考えていきましょう。
日本では瓦版という制度がありました。
江戸の街中での出来事を伝える手段として使われていましたが、それを読みたいと思えなければそれを買おうとは思いませんね。中には事件や事故の真実を知りたいと考えていたひともいたでしょうが、それよりもひとの気を引く見出しや、気を引く伝え方をしたモノの方が売れます。
ある意味、現代の週刊誌やスポーツ新聞でしょうか?
もちろん事件の真相は裁きの場では必要ですし、今後のことを考えれば過去の事件や事故は未来の事件や事故を防ぐヒントにもなる。なので公式文書などはそれを残す事が子孫のために大切な役割です。それも蔑ろにしているですがね・・・。
どこも変わりない!
他国では報道をどのように使われているか?
これも歴史から考えてみましょう。
現在のように印刷が気軽にできるようになったのは本当に最近のこと。日本でも他国でも同じですが、出来事や思想などを広げるのは大変な苦労がかかります。なぜなら文書を手書きで書き写すのが基本だったので、その労力を考えると書籍の価値は現在の10倍以上だったことでしょう。
それが活版印刷が進化することで、比較的印刷物が手に入りやすくなっていった。もちろんそれ以外にも、昔の小学校のようにガリ版印刷も重要な役割を果たした。
フランス革命のころ、後に議員になるようなひと達が自分の考えを印刷して配りまくり、それが多くのひとを動かす原動力になりその革命はなった。その内容はやはり現状の批判とどうすれば良いか?そして他のひとの考え方に対する意見が主。
ひとの気持ちを動かすのは不満と強い言葉!
これはなにも革命においてだけの話ではありません。
勉強でもスポーツでもうまく行かなければ不満を感じます。その不満を解消するためにひとは努力する。そうですよね!不満を感じる箇所はそれを解決することでより良い成績を手に入れたり、満足のいくプレーができるようになる。
なので不満は決して悪い感情ではない。
ただし、それを解消する方法が自分で出来る範囲内でのはなし。自分以外のひとを変える必要がある場合はその限りではない。
だって自分は変われても他人は変えられないのだから。
そしてそれは何処の国でも変わりなく、利用するのは権力とお金を持っている人間!
いまはネット上だけの雑誌になってますが、以前はクーリエジャポンという雑誌がありました。その中で、政治家を目指していたひとがそれを諦めて事業にちからを注ぎ、現在は富豪になったひとの話。
彼は政治家になった世の中を現在より良くしたいと思っていたそうです。しかし思いの他お金がかかるし自分の時間も限られることに挫折した。その代わりにお金を稼ぎ、自分と同じようなひとを支援して結果を出せばいいと考えた!
それを実現出来たのも凄いですがこれを云っちゃうのも凄いですね(笑)。
本当に世の中を変えたいのであれば、真実を声高に伝えるのではなく、自分が発言することで信じてしまうひとが現れるほどの人間になる。それが一番速く世の中を変えることになるのでしょう。
そして、報道はやはり千差万別。
SNSでも真実を伝えるモノもあれば、そうでないモノもある。それを見極めるのは難しい。
真実を見抜きために自分の感度を磨き、正負で判断するのではなく、考える材料として聞くことが肝要ではないでしょうか。
最後まで
読んでいただき有難うございます。
これからよろしくお願いします。