人(子ども、社員)を育てる思考力

テストで0点を取った自分でも、1,300冊の本から考える力が貰えた

他人の目線と思いは分からない

どこを見てどのように考えているかは知れない

 

 わたしたちは他人の目を氣にします。

 それが良い方向に作用すると

 言葉使いや

 立ち振る舞い、

 その他の評価が下がらない

 行動に結びつく。

 

 しかし、

 それが悪い方向に作用すれば

 自分に自信が持てなくなり

 他人の目線や態度が氣になりすぎて

 行動が小さくなってしまう。

 

 どちらも

 他人が何かすることはなく

 自分自身で感じたことに対して

 解放するか、

 縛りを入れるか?

 それを自らおこなっている。

 

 自分が幸せに生きるためには

 もちろん自分で行動するしかない。

 わざわざ他人が

 他人を幸せにしてくれるわけはないのだから!

 

 それなにの

 その自分自身で

 その可能性を狭めてしまっては

 他人が手を差し伸べたとしても

 良い結果は見えない・・・。

 

 あなたならどうしますか?

 

f:id:E-SHAO:20190925175752p:plain

 他人を氣にすることで相手の態度も変わる

 

 他人の目を氣にすること。

 それ自体が悪いことではありません。

 

 ひとの感情は

 その表情や態度に出るもの。

 それを知れれば

 自分がこれから

 どのように行動すればいいか?

 そのためのヒントになる。

 

 なので

 逆のことを考えてみましょう。

 

 もしも

 他人の目を氣にし過ぎるとどうなるか?

 

 ひとの好意も悪意も態度に出てしまうもの。

 ならば悪意とまでいかなくても

 苦手意識も相手に伝わる。

 

 そうなれば

 「あっ、このひとは何か違う(ネガティブな意味で)」

 と思われれば

 わざわざ仲良くなろうとは考えない。

 

 少なくとも

 自ら近づいて来なくなる。

 

 すると

 あなたはさらに苦手意識を持ってしまって

 その関係を改善するきっかけを

 自ら失ってしまう。

 

 ボールが転がるように

 良い流れも

 そうでない流れも

 転がり始めたら

 簡単には止まらない。

 

 その始めの流れを

 自ら閉ざさずに

 最低でもニュートラルから始めましょう。

 

f:id:E-SHAO:20190911102934p:plain

言葉でひとは変わる

 

 仕事でも

 親子関係の中でも、

 無駄な言葉を言ってしまう。

 

 よく聞いていると分かるが、

 「そんなの当たり前(常識)だろう!」

 「なんで〇〇(違う選択肢)をしなかった?」

 

 そんな感じの言葉を聞きませんか?

 それでその理由を云えば

 「言い訳をするな!」

 と言葉を遮る。

 

 自分で聞いておいて

 相手が答えを聞かれたことを云えば

 それを否定する。

 

 それでは

 何も言わなくなるだけ。

 そして

 お互いそんなことに氣づいていない・・・。

 

 「行動の理由」

 「行動の言い訳」は違う。

 

 言い訳とは

 聞かれてもいないのに

 自分の間違いを自分以外に求めたり

 環境の変化に求めて

 自分の非を認めない時の言葉。

 じゃないか?

 と、わたしは考えます。

 

 他人の目線も態度も

 それを受け取る側の意識で

 味方にもなれば

 敵にもなる。

 

 名将、優れた君主は

 敵を作らない態度が一番だったそうです。

 

 これからの

 みなさんが良い判断をすることを祈ります。

 

 

 最後まで

 読んでいただき有難うございます。

 

 これからよろしくお願いします。