人(子ども、社員)を育てる思考力

テストで0点を取った自分でも、1,300冊の本から考える力が貰えた

子どもに多くを求めない

自制心を持った子どもはいない

 

 こどもに

 静かにしなさい、

 ジッとして、

 〇〇をしてはいけません!

 

 そんなことを言ってませんか?

(言われていませんでしたか?)

 

 これほど無駄な言葉と労力は無い!

 

 子どもにとって

 この世の中は知らないことばかり。

 だからこそ

 知ることと出来ることを増やす行動をする。

 

 わたしが子どものころは

 ギリギリ自分で鉛筆を肥後守(ナイフ)で削ってました。

 それから電動の鉛筆削り機が出て、

 それがシャーペンになっていった。

 

 危険だからさせない。

 親心としてはよく分かるが、

 子どもの可能性を狭める切っ掛けにもなる。

 

 挑戦させてもらえなかったことが

 将来の可能性を潰していると考えると、

 名前に気を使う以上の

 心配りをしてほしく思います。

 

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我慢と辛抱

 

 子どもの求めるのは我慢。

 

 我慢の由来は仏教語で、

 サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳。

 仏教では、

 自己に執着する強い自我意識「我執」

 から起こる心や、

 自分を高く見て他を軽視する

 思い上がった心を「慢」と呼ぶ。

 このような心理状態を七つに分けて七慢。

 そのひとつが「我慢」。

 

 それが転じて、我慢を張ること、強情の意。

 さらに弱みをひとに見せまいとする態度とみられ、

 近世後期ごろから現在使われている我慢の意味となる。

 

 子どもの行動や

 衝動を抑えることを止める意とは少し違いますね。

 

 それをなんとなく解っている大人は

 「我慢」とは言わずに

 「辛抱」することを教える。

 

 使い方は同じですが、

 辛抱とは、

 辛いことを抱え、堪え忍ぶこと!

 

 こちらのほうが

 自身を制御して

 衝動をコントロールすることの難しさを

 知らしめる言葉のように思えます。

 

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自制心は備わっているものではなく、身に付けるのも

 

 大人になるには

 自制心を備えることが必要に感じます。

 「カチン」と来たからから!

 という理由で手を出せば

 この世は修羅の国になってしまいます。

 

 どんな世界、地域にもクソはいます!

 

 しかしそのクソを相手にしてしまえば

 同じレベルの「目くそ」か「鼻くそ」になってしまう。

 だからこそ

 「金持ち喧嘩せず」

 と言われている。

 

 では、

 この自制心を大人は何に使うべきか?

 それは、

 ことの先送りをしないこと!

 

 面倒くさいから後で、

 難しいから後で、

 などなど。

 国会などでもよく見られる光景を

 わたしたちはしない!

 

 それが出来るひとが増えれば

 少なくとも今以上に悪い世の中にはならない。

 

 自分は変われるが他人は変わらない。

 

 それを心がけると、

 自分の慢心といま出来るかも知れないことを

 感じることができると思います。

 

 子どもと新人社員に求めることを止めて、

 自分が変わることに

 大きな力を入れることを薦めます。

 

 

 最後まで

 読んでいただき有難うございます。

 

 これからよろしくお願いします。