頭が固いからいまがある
融通が利かないひとが損をする
新型コロナが流行ったかと思ったら、豪雨により河の決壊や氾濫により家屋が浸水により大変なことになってます。しかもここ数年は毎年どこかで同じようなことが起こっている。
毎年のように災害が起こることでどれだけ経済的な損失を出しているのでしょうか?それを考えると、少しずつでも災害が起こる可能性がある場所に対する行動をしていれば、経済を回すことが出来るように思えます。
しかしひとは「起こらないこと」「起こらない可能性があること」にお金を使うことは少ない。それが組織として大きいところとなると多くのひとが大丈夫と思ってしまう。
新型コロナのような騒動の場合はなかなか回避することが難しいと思います。しかしながら地震や水害などの場合は住む場所を変えることで、被害を被る可能性を減らすことは出来る。
もしも仕事に支障がなければ、住む場所を変えることができるでしょうか?
それを決めるのは何に重きを置いて生きているかによって変わってくるのでしょうね。
歳と共にモノが増える
ミニマリストといわれるひとが増えていったのは、いつぐらいだったでしょうか?
歳を重ねるに従ってミニマリストになっていったという、お年寄りを聞いたことがありませんね。本来であればそうなることで最後を迎えることが出来れば、子どもやその他の親族にいらぬ苦労をさせなくていいのですが・・・。
わたしのおばあちゃんの家はモノがたくさんありましたが、現在は随分スッキリしています。その代わりに家電や水回りは最新のものが揃っている。
わたしが子どもの頃は台所は土間だったし、フロも薪で沸かしてしていた。家の裏には井戸もありましたね。それがどの親類よりも速くオール電化にして過ごしやすい家になっていました(笑)。
なかなか凄いと思いませんか?
大正生まれで住んでいる家をゴロッと変える!
年齢を重ねるほど、ひとは変化を嫌うそうです。変化をするということは今から何かを覚えたり、判断したりしないといけなくなる。それに耐えられないからこそ、住み慣れた場所を変えることに抵抗を感じる。
人間の脳はいかにエネルギーを使わないようにするかを日々思考している。
わたしがいつものルーティンを変えられないのは脳の責任かも知れませんね。
人間の脳がエネルギーを使いたくない理由があります。
人間の脳は大きさの割りに多くのエネルギーを使います。脳を究極まで使う囲碁や将棋、チェスなどはプロになれば一試合10時間を費やしたりする。チェスの会場ではすぐにエネルギーになる甘いものが当たり前のように揃えられている。
現代のように食に困らない世の中であれば気づきにくいのですが、太古の昔から中世、近代になるまで人類は食べることに苦労していた。食べることと、病に対する手段を手に入れてから世界の人口は急激に増えていったぐらい、簡単なことではなかったわけです。
変わること、進化すること、ひとと違う事を成すことは大概のひとには向いていないこと。仕事の都合で住む場所を変えるひとはいるでしょう。しかし、災害を回避するために住む場所を決めてそこで仕事を探すひとは珍しい。
何処ででも寝れられるひとのように、何処へでも移動して生きていける肝が据わった人になりたいものです!
最後まで
読んでいただき有難うございます。
これからよろしくお願いします。