人(子ども、社員)を育てる思考力

テストで0点を取った自分でも、1,300冊の本から考える力が貰えた

差別と区別を使い分けている?

不安な時代は差別が見える化する

 

 日本を挟んで西と東の国で差別やら抑圧なのか?それを国を運営する側が国内の市民に対しておこなっている。お隣の国は数千年の歴史の中で同じようなことを何度も行っているので、その後どうなるのかは歴史が教えている。しかし、それを記した歴史書の多くは時の権力者によって破棄されている。それでも国が変わる時に何が起きたかは大筋は知っている。それが怖いから抑圧をおこなう。

 

 イジメ問題でも同じですが、本当に自信があり強い人間は自分より弱い相手に対して、強さを示したり行動することは無い。自信が無い人間が自分を肯定するため、またプライドを保つために勝てる相手に対して行動する。

 イジメをいじめの範囲で考えている限り、あまり減らないと思います。ちゃんと恐喝なり暴行なり、名誉毀損なり罪状を言い渡して、それはにあることを示しイジメをする側も心理的なアプローチをしてやらないとお互いが不幸になる。

 

 話がそれましたね。

 日本ではお隣のような出来事(東と西ね)はなかなか起こらないと思います。それでも国家とは武力を持ちそれを行使する能力とシステムを持つ組織であることを忘れてはいけません。

 

 アメリカに州兵がいたり、銃器を持つことが比較的許されているのは、国の決定であってもそれに抵抗する権利も持っている、という意思の表れが銃規制を阻んでいる。それが良いか悪いかはその時の情勢次第。

 それでも自分達の正義は自分達で勝ち取るのがあの国の形なのでしょう。

 

f:id:E-SHAO:20190923081307p:plain

 お腹が満たされれば・・・

 

 生きていればお腹が空くものです。そしてお腹が満たされればがんばれるのが人間。

 だから何も持ってないひとにとって、食べられる感覚はわたし達が想像する以上に悦に感じるものだと思います。それが普通に満たされる状況になれば違うモノを求めるのも人間。

 

 大昔は選挙なるものは存在しなかった。

 それを最初に手に入れたのは権力を持つ者と財を持つ者。それが市民となり(奴隷はその限りではない)、成人男性となり全ての市民が持つ権利となった。その過程はその時代のひとが要求したり、お互いの変化の中で制度化された。

 

 生まれた時からその権利を持っていてはその価値は理解できない!

 

 生まれた時からネットがあり、クーラーがあり、スマホがある世界にいてはいかに恵まれたいるか?それを知る術はない。(一時的に孤島にに行けば体験は出来るが、あることは知っているので暮らし方を変えるのは難しい)

 

 わたし達の国の左隣の国には政治に口を出さない限り自由がある。

 右隣の国は権利は主張するが引くことを知らない。

 

 どっちもどっちですね!

f:id:E-SHAO:20190923075106p:plain

 権利を主張するには大きな声で意思を言葉にする。

 すると引き下がるのも難しくなる。前へ前へと進みながら気づいたら方向転換していたりする。

 差別という言葉を使えばひとは聴く耳を持つ。

 しかし行為の中には「えっ!?」という事もある。

 

 全ての行動はそれを伝える側の思惑によっていかようにも歪めることができる。それは先の大戦でもプロパガンダとして利用され実証されている。そして一度信じてしまった出来事(事実でなくても)は覆すことは難しい。

 なぜならそれを覆すと自身の行動を否定することになる。

 どんなに自分が好きじゃないひとでもそれは難しい!

 

 そしてそれが何年も積み重ねるともう後戻りできない。

 ひとの行動が差別なのか?区別しているのか?

 それを深く考えずに出来事だけ(切り取られた映像のようなもの)で、一度声を出してしまえば引っ込められない・・・。

 

 大人がしていること(悪い事ではない)を子どもにさせない(危険だったり、身体的には良くない)のは差別ではないですよね。それを差別だというと残念なひとと判断される。

 科学的な見地においては「差別をするひとは知能が足りない」とハッキリ言っているそうです。想像力や思考力が強くなければ、自身の近くの言葉に引っ張れてしまう。そしてそれが誤りだと分っても言葉や態度にできない。

 

 そんな急流に流される小石のようにならないために、すぐ反応するのではなく立ち止まって思案していきましょう。

 

 

 最後まで

 読んでいただき有難うございます。

 

 これからよろしくお願いします。