人生は無理ゲーかな?
立ち位置によってそれは変わる
日本では出版不況で
本が売れないそうです。
一番本が売れていた時期には
ハードカバーではなく、
文庫本やそれに準じた本が売れていたそうです。
わたしが中学生の頃は
ジャンプが全盛期で
500万部や600万部売れていました、
現在はそれの半分以下。
それは読者層が
圧倒的に減っているのだから
どうすることも出来ないこと。
それこそ
経済番組で使われる
人口ボーナスの結果!
「オレが若い頃には!」
なんて言葉は
当時と現状の環境の違いを
感じられていない
不感症か感覚が鈍いひとの言葉。
そんなひとからは
何も得るものは無いので
さっさと離れましょう!
それを知った上で
無理ゲーについて考えてみる。
現代に無理ゲーは無い
無理ゲーも
クソゲーも
わたしが小学校高学年から
中学にかけてよく使われた言葉。
そのころは
もちろんネットはないし、
スマホもない。
しかし、雑誌やラジオ
テレビを通して
そんな言葉が共通認識はできた。
まだ、ゲームがファミコンだったころ、
ゲームを制作する現場では
ゲームをプログラミングするひとと
そのゲームに穴(バグ)が無いか?
実際にゲームをしてチェックをする作業を
同じひとがしていた。
だから、
そのゲームが簡単に感じると
すぐに難易度を上げて
またチェックをする。
それを繰り返していくと
とんでもない
無理ゲーが出来上がる!
それは子どもには無理だよ!
というゲームはこうして出来上がった。
では、
人類史上ただのひとりも
無理ゲー制作のように
何度も人生を繰り返したひとはいない。
(輪廻転生しても以前の経験を持って
生まれ変わったひと)
だから人生とは
無理ゲーというよりも
ゲームの先が見えずに
自身が進んだ足下から
事実となるゲーム。
ということは
自分でそのゲームの
難易度を決めることが出来る。
出来ないことに向かうから無理ゲーになる
自分に何が出来るか?
よく分かりませんね!?
ならば逆を考えましょう。
自分には絶対にできない事は?
子どもころから
苦手を無くすことが良しとされがち。
しかし、
苦手の克服よりも
得意を伸ばす方が効率的。
苦手の克服は
いかに平均的な人材になるか?
いかに代わりになれる人材になるか?
現代の工場労働者や
サラリーマンになれる人材育成の考え方。
それが有効だった時代は
すでに終演を迎えている。
人生は無理ゲーだと
感じるだけ
まだ感性が鈍っていないのかもしれない。
もし現状をそのように感じているのなら、
進んでいる道を間違っている。
そして
その間違った道で頑張ってしまっている。
その努力は勿体ない!!
道が違えば
努力の結果は違った形になる。
そんな時は
人生はおもしろいゲーム。
と思うことになるでしょうね。
最後まで
読んでいただき有難うございます。
これからよろしくお願いします。