人(子ども、社員)を育てる思考力

テストで0点を取った自分でも、1,300冊の本から考える力が貰えた

ひとは理系でも文系でもない!

得意なことは分ける必要はない

 

 年が明ければ受験の本番まであと少し。
 高校生や大学生になれば

 文系か理系に別れることになります。

 しかし考えてみると不思議なはなしで、

 理系であっても

 それを説明するには

 文系の言葉の力が必要で、

 文系であっても

 数学的な論理や式のような

 決まりごとを読み解くことになる。

 

 アインシュタイン

 難しい数式や物理学の原理を

 数字で伝えるのではなく、

 わかりやすい例を使ったりして

 伝えるのが上手だったそうです。

 

 物理学を数式で説明するのは

 料理の味を食材で伝えるようなもの。

 しかし、

 物理学の式を分かりやすい例で伝えるのは

 ワインや日本酒を呑んで

 その味を、感じたことがあるだろう

 果物の味や土の香り、

 草原の香りなどで例えるようなもの。

 

 ひとに何かを伝えるのは難しい。

 だからインスタなど

 見て分かるものにひとは頼ってしまう。

 すると

 伝える努力の中にある

 比喩や知っていそうなことを引き合いに出して話す、

 また自分の感覚(気持ち、好意なども)を

 どのように伝えればいいか?

 という後天的に身に付く

 スキルを付けることも出来なくなる。

  

 苦労して手に入れた感覚(スキル)は

 生涯使い続けることができる。

 

 理系でも文系

 言葉と数字を使いこなすことは

 自分のためになる!

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 理系でも文系でも必要な感覚

 

 数学の世界では

 ある公式を解いたり

 提示するときに

「式の美しさ」

 を語ることがあります。

 

 数学が嫌いなひとには

 そんな気持ちは分からないでしょう。

 また、数学が嫌いなひとは

 美術や芸術も嫌いかもしれません。

 嫌いじゃなくても分からない・・・。

 

 それも仕方ないかもしれません。

 

 戦前の教育とは

 一部の天才か秀才を育成するためにあった。

 だからこそ

 いまの高校は当時は高等教育をする場で

 大学はさらに専門的に学ぶ場であった。

 

 いまのように

 就職予備校ではなかった!

 

 アメリカの大学の授業料が高いのは

 その授業料が教員や大学院生の給与になる。

 アメリカでは大学院生は一種の職業。
 なぜなら教授の手伝いや研究に寄与するのだから

 そこに金銭は発生するのは当然の話。

 

 そこで得られた知識を

 受講者(大学生)は学ぶことが出来て

 専門的なことを自分で探求する必要

(それにかかる時間を使わなくていい)

 がないのだから、

 大学に払う学費は

 そこで学ぶ知識の裏にある

 人件費と研究に費やされた膨大な時間の対価!

 

 でも、

 金銭は棚ぼたで増えることがあっても

 時間は絶対に増えることはない!

 そのようなことを知れば

 その対価は高いと云えるでしょうか??

 

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脳を使うには身体も使った方がいい

 

 哲学者や科学者と言われる人達は

 よく歩きながら考える。

 

 歩くこと(2本足で)は脳に刺激を与え、

 ときにこころを落ち着かせてくれる。

 

 西洋では瞑想や禅が流行っていますが、

 あれらは座って、呼吸に意識を持っていく。

 歩くかわりに

 身体の中で動いている箇所(呼吸で使う肺やその周辺)

 を使うことによって

 同じような効果を得ている。

 

 わたしが行っている合気道

 「動く禅」といわれます。

 ひとによっては

 稽古そすることによって

 悩んでいることや

 考え込んでいた出来事を

 一時的にも忘れることができて

 違う視点、

 違う回答をするようになる。

 

 でもこれも単なる一例。

 

 絶対なる答えではない。

 それでいて、

 先人の知恵が生み出した手段でもある。

 

 どんな手段であっても

 あなたのいまを変えられるのなら

 その方法が最善になることでしょう。

 

 

 最後まで

 読んでいただき有難うございます。

 

 これからよろしくお願いします。