人(子ども、社員)を育てる思考力

テストで0点を取った自分でも、1,300冊の本から考える力が貰えた

ノーベル賞は過去の評価

日本が輝いていた時代の残り香

 

 近年、

 日本人がノーベル賞を受賞することが

 続いていますね。

 しかしその多くは

 60代~70代だったりします。

 

 ということは、

 彼らが一番時間と能力を発揮していたのは

 30年以上前のはなし。

 

 令和の時代になりましたが、

 ノーベル賞を取った人達は

 平成の前の

 昭和の中期から後期の結果が

 いま高く評価されて受賞している。

 

 いま現在、

 研究に努力していることは

 次の年号のころに評価されるモノの可能性がある。

 

 しかし、

 これまで受賞してきた人達は

 ノーベル賞が欲しいから

 努力をしてきたのではなく、

 疑問に思ったことや

 仕事上の発明だったりしたことが

 評価されてきた。

 

 褒めて欲しいから努力するひとには

 手に入れられないモノなのかも知れません。

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 これからノーベル賞を取るひとが出てくるか?

 

 ノーベル賞を取る時には

 前もって財団から話が来ます。

 

 例えば今回のリチウムイオン電池の場合は

 個人の研究ではない

 企業が持っている技術でもある。

 だからこそ

 開発者ではなく、

 それを所有している企業に話が来る。

 そのうえで

 開発者にその栄誉が与えられる。

 

 なかには

 開発者でも研究者でもないのに

 それを所有している企業のトップだからと

 自分がその栄誉に得ようとする人もいる。

(これは裏話なので表に出てきません!)

 

 

 ではこれから

 大学の研究所や企業の研究所から

 ノーベル賞の栄誉に選ばれる人材が出てくるか?

 

 それらの現場(環境)を知っているなら

 いまのように毎年受賞者が出てくることは

 ないと判断するでしょう。

 

 それだけ

 実用品にしか意識が行かなくなり、

 何に使えるか分からないけど!

 というものが減っていく。

 

 人や動物の進化が

 環境に対して

 徐々に変化したいった結果ではなく、

 突然変異によって劇的に変化していった結果。

 

 その突然変異の多くは淘汰されて

 消えていったものの方が多かったことでしょう。

 

 日本がそれを容認できるだけの

 余裕がある国でいられるでしょうか?

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試行錯誤を無駄と決めつけると努力しなくなる

 

 試行錯誤は

 そのまま努力と言い表すこともできる。

 

 日本の企業で評価されてきたのは

 ゴマすりが上手いひとと、

 努力しているように見えるひと。

 

 だから金魚のフンと

 結果に繋がらなくても

 残業して会社で時間を使っているひとが

 上に上がっていった。

 努力が(金魚のフンも努力はしている)

 評価されるのは悪くはない。

 しかし、

 その方向性が間違っていては

 結果的にやった感で満足してしまう。

 

 やった感は感情。

 結果(業績や研究結果)は事実。

 

 あなたが行っていることは

 感情でしょうか?

 それとも事実でしょうか?

 

 迷った時は立ち止まって

 考えてみてはいかがでしょうか!?

 

 

 最後まで

 読んでいただき有難うございます。

 

 これからよろしくお願いします。